Reverse/Rebirth!

何度でもやり直すさ。

メンがヘラい。

軽っぽくて良いけど、其れにしても色々凄い言葉だな。

死にたい。と思う。
そろそろ本当に疲れてしまった。

もっと早く死ぬべきだのに、なぜ今まで生きていたのだろう。

もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら、幸せな日々が来るかも知れないと、ずっと、信じていた。
あっさり全く絶望してしまうような酷い人生でもなかった。
ひょっとしたら助かるんじゃないかって、時々、幸せな出来事があるたびに、思っていた。

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◻︎ 応用編。

黒ウィズの攻略は、パズドラの攻略を応用すれば余裕。
おかげでサクサクと無課金でもLv.アップしている。

ああ云うゲームの元祖はパズドラなのだろうか。
パズドラは本当によく出来たゲームだったと思う。
誰でも出来る(そしてハマる)落ちゲーで、且つ育てゲーで、加えてRPGなんて、絶対ウケるに決まっているのである。

そうそう、先日黒ウィズの感想として「お手軽に達成感を味わえて、カタルシスを浪費している」的なことを書いたが、よくよく考えれば、去年パズドラをプレイしたときも全く同じことを云っていた。
因みに、パズドラは丸2ヶ月丈けやって、ぱったり止めた。
サクヤさんとか持ってたので勿体無いと云われたが、最早どうでも良かった。

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◻︎ ジュースを買ってあげる。

コンビニで150円の新商品が100円で売ってあるドラッグストアに参拝してきた。
10種類ほど購入。3日に2本くらいで、半月持つかなぁ。
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◻︎ 何とかなる。

来週からフェイシャルエステのスクールに通う。
卒業要件がまあまあ厳しいのだが、どうせまた何とかなるんだろうと高を括っている。
此の楽観と自殺願望は一体どうして同居し得るのだろう。

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◻︎ 足るを知るとは何なのだろう。

よく、ポジティブシンキングの例として、「コップ半分の水をみて、もう半分しかないと思うか、まだ半分もあると思うか」という話が挙げられるが、丸一日飲み物を飲んでいなくて弱っている人が「もう半分しかない」と思うのは当然だと思う。
其れでも半分でも水があったことに感謝せよというのが教え(?)のキモなのだろうか。
何か、しっくり来ないんだよなー。
あと、ポジティブシンキングテロはさっさと絶滅すればいいのに。
「こう捉えれば前向きになるから頑張る」というのと、「いいから前向きに捉えろ」というのは、まっっったく違うぞ。

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◻︎ 死に場所。

最期のときは、最愛のXくんに手を握っていてもらいたいなあなどと夢想していたが、いつ発作的に死にたくなるか解らなくなってしまったので、其の夢は半分くらい諦めることにした。
今日、春風に揉まれながら、死に場所について考えていた。
自殺するなら伏見稲荷大社が良いな、と思った。
私にとってとても大切な場所だ。本籍でもあったし。
向かう途中に死にたくなくなれば、其れに越したことはないし。

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◻︎ 生きる理由。

「何のために生きてるんだろ」と云う思春期に有りがちな問いには、
「死ぬため」
と云う明解な答を持っている。
最期の瞬間のため、とか、そう云うウツクシイ感じでは一切なく、ただ、コップがテーブルから落ちて割れるまでの数秒間が人生みたいなものだから、其れ丈けだろって話。
不思議の国のアリス』で、ウサギの穴に落っこちた主人公が、落下してゆく過程で色んなものを見かけるシーンがあるけど、コップでなく人間に例えると、そんな感じなのでは、と。
其のとき何を見て何を感じて、というのが、所謂「人生」であって、其れは、死という終着点に到達するための道のりでしかない。